日々の断想
−2001−
10月15日
言葉は多くの意味を持ちながら、ひとり歩きをしていく。思考は感情により真実味を帯びるが、言葉により裏切られる。なにも話せなくなったとしても、心臓だけは動いているのだろう。断片的な想いがとてもリアルに思えるとき、こころは確かに同期している。
10月19日
「性格は変えられない」と君が思うのは、君の性格のせいかもしれない。だから「性格は変えられるかもしれない」と君が思えば、それだけで君の性格は少し変化したことになるだろう。
人生の主役は君自身であり、君の性格ではない。
10月25日
変化し続ければ、やがては何かになるだろう。いまこの瞬間、何もない、何者でもないと思えても、転がり続ければやがてはなにかになるだろう。君がボールのように丸くなれば、風が吹いただけでも、とりあえずは転がってゆくのだろう。
可能性?
そんな言葉なんて必要ない。
ただ明日がくればそれだけでいいときもある。
10月31日
記憶を失うことは怖くもあり、幸せでもある。人生をすべて失いたいと思う人もいるし、いつまでも人生が続くことを望んでいる人もいる。
11月4日
「不安なんてありません」と答えた人が、最も深刻な状況にあるのかもしれない。
11月6日
自らの口から発せられた陳腐な言葉に、嫌気がさして白旗を掲げたくなるとき、自分の心の闇に直面化することになる。
今日はそんな日だ。ただそれだけのこと。
悟るのにはまだ早すぎる。
11月18日
10年間、君がどんなふうに生きてきたのかを思い出して欲しい。「失われた10年だ」と君が言えば、力強く否定したい。
「10年間一度も笑うことがなかった」と君が証明しない限り、なんと言われても否定したい。
今この瞬間、君が苦しんでいる間に過ぎ去ってゆくこの時間の先に10年後の君がいる。
きっと、何度か笑えることもあるだろう。
10年後の君はこれからの10年をどんなふうに振り返るだろうか?
でも、こんなことは考えない方がいいんだよ。肩に力が入りすぎると疲れるからね。
11月25日
何もなく過ぎてゆく一日が幸せだと思えればいいんだけど、何もないままでいられるかどうかがわからない。
好奇心が心をせかし、記憶が歯止めをかける。
「不安とはなんですか?」と聞かれれば、「それは哲学ですね」と答えるだろう。
それとも、「大脳辺縁系の働きが...」と、生真面目に説明するだろうか?
幸いにもそんなことは聞かれたことがない。
12月2日
もう二度と会うことのない人のことを考えてみる。
なんのためにすれ違ったのだろうかと...。
生活の一部が切り離され、新しく組み合わされている。
歩いてきた軌跡は途切れることがなく、重なることもない。
ただ一本のまっすぐでない線のようなもの。
12月14日
一日の出来事をすべて思い出すことはできない。
知覚・思考・情動...一体どれだけのことが意識下でおこなわれただろうか。
記憶のフィルターがうまく作動すれば、なんの問題もないのだけれど、機械のようにはいかないもんだね。
12月26日
ΣLibido=n[2(n−1)+(n−1)(n−2)]+=n2(n−1)
−2002−
1月6日
空想することでしか生きられないという人に、励ましや慰めは意味がない。現実と非現実の硲に足をとられ、明日の自分はもう自分ではないという君は、この世の不幸をすべて背負ってしまったかのようだ。
多くのひとにとって当たり前すぎることが、あまりにも無意味で味気ないのであれば、眠ってしまうよりないだろう。
何も考えなくても生きられるよね。
みんなそうなんだ。難しいことじゃない。
1月20日
乗り越えた先になにがあるにせよ、目の前のハードルに集中しよう。
バランスをとり、リズムを刻み、うまく着地することだけを考えて。
そうすれば次のステップを自然に踏める。
ハードルを乗り越えていくことだけが人生じゃないっていうのは、お気楽な見物人の世迷言にすぎない。
2月4日
診断というレッテルが多くのものを包み隠している。
「消えてしまいたい」という目的のない動機は、操作的という言葉で安易に片付けられてしまう。
すべてのことに意味を見出すことが当然と思えている人に、そうでない人の気持ちが理解できるだろうか?
この決定的な溝を薬だけで埋めることは決してできない。
−自分自身への戒めとして−
2月18日
都合の悪いことを忘れてしまえるのは、とっても大切な技術。
都合の悪いことを忘れてしまえないのは、とってもすばらしい人柄。
どちらを選択するかは、あなた次第。
どちらが良いのか悪いのかは、わからない。
3月3日
対象をもたないで存在することはできないにせよ、対象化されることを意識しないでいたいものだ。
できるだけ透明に近い存在として...。
いつもそんなふうに思っていたら、今のような生活はしていないはずだけど...
まあ矛盾しながらやっていくしかないのだろう。
3月15日
「薬に頼りたくない」という思いを多くの人がもっているが、薬は頼るものではなくて利用するものだと考えていい。
火を点けるのにマッチやライターを使ったからといって、誰も怠けているとは考えないだろう。
4月14日
時間はたっぷりとあるはずなのに、何かに急かされて落ち着くところを知らない。
そんな感覚が随分と長く続いている。
‘ゆっくりと考えましょう’という言葉に自分自身が救われていることは十分にわかっているつもりだけど、
その言葉には、未だ説得力がない。
4月30日
1年という時間の中に埋没した1日。
記憶の中に沈殿し、もはや加工することはできない。
今からできることが何であるのかは、今更言うまでもないことだ。
5月21日
砂時計の中の直線的な時間は、凛としてとても美しい。
焦りと期待を撥ね付けるかのように、定められた始まりと終わりだけが、厳粛な空間に存在する。
微かに聞こえる砂の音色は、一体なにを意味するのだろう...。
6月23日
平凡でいいんだと思うことで多くの問題は解決する。しかしそれがとても難しい。
非凡な存在に自らを投影することで充足し安定する。これは簡単だ。しかし長くは続かない。
祭りに参加するのであれば、いつまでも参加し続けなければ意味がない。
8月11日
毎日たくさんの言葉を発している。
時間は限られているのだと感じつつ、時間は限りなくあるのだと言うこともある。
矛盾ではなく、ましてや偽りでもない。今のところ答えがないのだ。
勢いよく回転する駒が揺らぎはじめた時、初めて何かが解るのかもしれない。
9月9日
今感じていることが永遠に続くものではないと感じたならば、それは経験が邪魔をしていることになる。
誰も本当の占い師にはなり得ないし、先のことはわからない。
過去は未来に影響を与えるにしても、未来を既定するものではない。
<わかっているよ、そんなこと.進歩のない奴だなあ.いつも同じことを言っている.>
とにかく先へ進めということだ。
9月17日
サイコロは振ってみなければわからない。最初から決して変わることのない約束があるなんて、そんなつまらない人生はごめんだね。保守的に振舞うことを、それなりに覚えてきたつもりだけれど、根本は何も変わっていないようだ。
9月26日
平気で嘘をつく人は、もはや自分の嘘に気付くことができないばかりか、他人の嘘にはとても敏感になっている。
さらには自分の非には鈍感になり、他人の非をみつけることしかできないでいる。
「あなたにも、少し問題が...」なんて誠実な言葉は、火に注がれる油のようなものだ。
「私は間違っていない。私は...。」と、そんな風に生きられたら、どんなにか楽だろう。
11月10日
そこから見える景色だけじゃないってことを、どう伝えたらいいのだろう。少し視線を動かせば、これまでと全く違ったものが見えるだろうに...。言葉でのやり取りだけでは、微力すぎる。
きっとその場所で見慣れた景色が、どこかで君を安心させているということなんだろうけどね。
そのことに気付くのはもっと難しいことなんだよ。
−2003−
1月21日
明日隕石が地球にぶつかるかもしれないのに、僕達は一体何をやっているのだろう。積み重ねたものは一瞬にして燃え尽き、誠実な言葉も欺瞞に満ちた優しさも、全ては無に還元されてしまう。そこには意志もなく、悲しみや怒りもない。当然ながら、悲観的に振舞うことでのナルシシズムも在りはしない。
4月7日
休息が必要だということを理解できず、歩き続けることもままならない。何かを選択していかなければ、未来へのベクトルは描けないのに、全ての責任は他人の手の中にある。誰かがあなたを規定し、誰かがあなたを支え続ける...。
そんな人生、少なくとも僕には理解し難い。
でもそんなのもありかな?と思うことにしたよ...。
6月30日
少し休みたいとは思うけれど、漕ぎ出した舟の休息場はなかなか見つかりそうにもない。別に元気一杯で生きていく必要もないだろうし、暫くは流れに身を任せてということにしよう。
7月3日
何がそうさせたのかがわからない。これまでと変わりのない蝉の声を、聞いて欲しかったと、ただそう思う。
誰も批判せず、不満も言わず、静かに席を立った、その姿を覚えている。
9月19日
満たされていくことの虚しさを感じながら、失われることへの恐怖を感じながら、
自由であることを望みながら、孤独であることを恐れながら、
暗闇の中の自分を感じながら、一瞬の光を感じながら、...。
−2004−
7月5日
この場所から遠ざかっていくことでしか、乗り越える術は無い。君は夢をみていた。目が覚めれば、そのイメージは記憶の中に沈みこむ。そして、普通に、在り来りの生活をすれば良いだけのことだよ。